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素晴らしいモーツァルト~中村紘子のピアノ・ソナタ

time 2021/06/06

 最近、モーツァルトのピアノ・ソナタの素晴らしいCDを入手しましたので、ご報告します。

 中村紘子さんが2006年8月にベルリンのテルデックス・スタジオで録音した1枚のCDです(エイベックス)。収録されているのは、順に、ピアノ・ソナタ第18番(旧17番)ニ長調 K.576、第9番(旧第8番)イ短調 K.310、第11番イ長調 K.331「トルコ行進曲付き」の3曲です。

 ライナーノートには、中村さん自身が書いた「モーツァルトの夢」という文章がついています。モーツァルト生誕250年の年に録音されたもので、エイベックスに移籍してから、テルデックス・スタジオで録音するのは、2004年の「グランド・リサイタル」に続き2回目だということです。中村さんはこのスタジオを相当気に入っていたようで、文章で「大変に素晴らしい。長年にわたってうよいレコーディングを作り上げてきた経験が蓄積され生きていて、ピアノを置く位置からマイクロフォンの設定から、それにピアノのコンディションといった基本的な要件が、録音の初日からほぼ完全に整っているのである。これは、日本のホールを使った録音では経験の無いことだ」と記しています。

 中村さんといえば、言うまでもなく戦後の日本を代表する女流ピアニストでした。大腸がんにより2016年に72歳で亡くなってしまったときには、円熟を極めてきたときだけに、早すぎる死が惜しまれました。ただ、私はといえば、中村さんの良い聴き手とはいえず、テレビなどで観た際の、鍵盤を叩き付けるような、いささか荒い演奏をするイメージを持っていて、CDは持っていませんでした。

 今回たまたま、本当に気まぐれでこのCDを買い、聴いてみて驚愕しました。こんなに豊かな響きの、歌心に溢れたモーツァルトを演奏していたのか。2006年というと中村さん62歳の時です。記念の年とはいえ、モーツァルトだけで1枚のCDを作るというのも中村さんとしてはやや意外です。いよいよ円熟味を増し、融通無碍な心でモーツァルトに対する境地に達していたのかもしれません。

 かつて1980年代ごろのNHKテレビの「ピアノのおけいこ」でしたか、まだ若い中村さんが音大生に「トルコ行進曲」をレッスンした回を観たのを思い出しました。ショパン風に弾いて見せ、モーツァルトの弾き方はそうではない、と、腕をあまり使わずに手首から先を使い、粒立ちの良い音で抑揚をあまり付けずに弾いて見せたのです。ちょうどイングリット・ヘブラーのような感じでした。その番組ではロマンティックなモーツァルトを否定していたのです。

 ところが、この演奏はどうでしょう。とてもロマンティックです。かつてのようにフォルテでも叩き付けるような感じはなく、丸い太い音です。テクニック的には昔から上手い人なので、いささかも危なげがありません。右手の細かいトリルもとてもきれいです。

 第18番は冒頭から早すぎないテンポで歌うように始まります。対位法的な書法が特徴的な曲ですが、右手、左手のバランスも良く、ちょっとした抑揚が一本調子になるのを防いでいます。第2楽章の深い瞑想も秀逸です。

 第9番は、ディヌ・リパッティの素晴らしい演奏が私の「刷り込み」になっていて、長年、リパッティを超える演奏に出会えてなかったのですが、中村さんの演奏では初めてリパッティのようなやり方ではない演奏で、最高の境地に達した演奏に出会えたような気がしました。冒頭開始は、峻烈な表現の演奏が多いですが、中村さんのは悲愴さは十分に感じさせつつも、どちらかといえばロマンティックな表情の方が印象に残ります。

 「トルコ行進曲付き」は前述のテレビ番組で教えていたことと、正反対のロマンティックな演奏です。第1楽章が出色で、まるでシューマンの「子どもの情景」に通じるような、夢の中にいるような演奏です。すべての繰り返しを行っているのですが、1回目と2回目の演奏を音量やニュアンス付けなど微妙に変えているのも素晴らしいです。意外に、まったく同じことを繰り返すだけの演奏も多いのです(ちなみに、私が一番好きなモーツァルトを弾きは内田光子さんですが、内田さんは、少なくとも録音では繰り返しであまり表情が変わらないのです。明快なポリシーがあるとは思いますが、私はそこが唯一、内田さんモーツァルトで気に入らないところです)。

 第3楽章も大きなタメをつくったり、即興的な装飾音を加えたりと、とても面白かったです。

 「ピアノのおけいこ」の頃から、2006年のこの録音の間に、ここまで大きく変わったのは、どういうことでしょうか。年齢を重ねたことによる円熟ということでしょうか。中村さんは、若い頃、ジュリアード音楽院に留学した際に、指を猫の手のように丸めて上から弾く「ハイフィンガー奏法」否定されたことがあるといいます。試行錯誤し、ようやくハイフィンガーだけでなくいろいろな奏法を組み込んで彼女なりの奏法を確立できたのが、50歳ごろのことだったと、何かで読んだことがあります。

 奏法の確立とともに、中村さんのモーツァルト観の変化もうかがえることを自ら書いています。

 「ピアノ以前の鍵盤楽器しか知らなかった『時代の児』モーツァルトが表現しようとした、その『おもいのたけ』、その美しさとはなんだったのだろう。

 モーツァルト自身が聴いたり想像したりしていた鍵盤楽器の音色は、今私たちがピアノで聴くものとは全く違うものであったことは改めていうまでもない。でも、と私は思う。彼はきっと心のどこかで今日のピアノの音を夢み想像していたに違いない、と。」(下線は私)

 そんな演奏です。まるでモーツァルトが現代にタイムスリップして、現代のピアノを知って、大喜びして、子どものような無邪気な心で音楽と戯れているような。叩き付けるだけと思っていた中村さんが、いつの間にかモーツァルトの真髄に迫る境地に達していたと分かったことは、私にとって大きな喜びでした。

 録音がまた、中村さんが書いているように非常に優秀で、アコースティックが非常に良いので、音響の良い小さなホールで、近くで弾いているように聴こえます。使用楽器は明示されてませんが、おそらくスタインウェイだと思います。

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