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シューベルト「即興曲集」の名盤~ルプー、クラウス、ケンプ、ツィメルマン、内田、ピリス、アラウ

time 2022/02/13

 私はシューベルトのピアノ曲が大好きで、これまでにも、ピアノソナタ第13番の名演アファナシエフの後期ピアノソナタ後期ピアノソナタの名演について書いてきました。

 きょうは、ピアノ・ソナタに劣らず人気があり、私も大好きな「即興曲集」Ⅾ.899(作品90、4曲)と「同」Ⅾ.935(作品142、4曲)の8曲のいろいろな名盤をご紹介したいと思います。

 それぞれ4曲からなる「即興曲集」は、シューベルトの晩年、その短い生涯を終える前年の1827年に全曲が完成されています。8曲いずれも劣らずとても魅力的な作品集です。作品90の方がそれぞれ独立した性格を各曲持っており、作品142の方は4曲まとまって一つのソナタを形成しているようだという見方も一般的にされているようです。

 この魅力的な曲集を私の拙い言葉で説明するより、ツィメルマンのCD解説にあった萩原秋彦さんの文章がすべてを表しているように思いますので、紹介します。

 「(前略)シューベルトが、ピアノという楽器にもっとも個人的な言葉を託し、親密な心の触れあいを感じることのできたものが《楽興の時》であり、《即興曲》であったのだ。それは、レントラー、ワルツ、メヌエット、エコセーズといった舞曲で示したシューベルトの上機嫌とは、また別のものだろう。《即興曲》という標題だけが付けられた性格的小品は、当時ボヘミアの作曲家たちのあいだで好んで書かれていたものであり、シューベルトによって創案されたものではなかった。しかし、シューベルトの《即興曲集》こそ、メンデルスゾーンに《無言歌集》を、シューマンに《ノヴェレッテ》や《フモレスケ》などを書かせることになったものであった」

 また、宇野功芳さんは、リリー・クラウスのCD解説でこう書いています。

 「シューベルトのピアノ曲の中では、『楽興の時』やいくつかのソナタ以上に、8曲の『即興曲』が魅力的で、かつ芸術的にもすぐれている。(中略)チャーミングな旋律と、即興的な感情のゆらめきと、ピアノの美しさを最大限にひき出した技巧とからなる『即興曲』は、その通俗性におちいらぬ親しみやすさのゆえに、いつまでも新鮮な魅惑を失うことはないであろう」

 こちらもまことにその通りですね。

 特に作品90は、ピアノ中級者向けの練習曲としてもよく使われ、私も大昔、2曲目、3曲目、4曲目を弾いたことがあります。

 さて、それでは、おススメの名盤を紹介します。

ルプー

 

 「千人に一人のリリシスト」と称されるラドゥ・ルプー。ルーマニアのピアニストです。抒情的な演奏が最大の特徴ですが、実演で聴いたブラームスのピアノ協奏曲第1番などでは、力強いタッチで豪壮なフォルティッシモも出し、なかなか表現意欲に富んだ演奏だったのをよく覚えています。

 シューベルトはいくつかのソナタと即興曲集、楽興の時を1979年代から90年頃にかけてデッカに録音しています。ただ90年代頃でしょうか、録音はやめてしまい、コンサート活動のみになりました。

 この「即興曲集」は1982年、デッカへの録音です。これが出た時、吉田秀和さんが「レコード芸術」誌で激賞したのをいまでも覚えています。たしか、緩急の付け方と音量の増減、すなわちデニュナーミクとアゴーギクの関係がフルトヴェングラーのように有機的に、考え抜かれていること、さらにピアニシモも絶妙なタッチなどを指摘していたと思います。

 実際、吉田さんが書いたように、非常に緻密でありながら、全体の中の部分がいつも考え抜かれていて、そこに生来のリリシズムが加わったような演奏です。録音もとても良く、曲本来の良さを味わうには、第一に指を折るべき名演かと思います。

クラウス

 リリー・クラウスは、前述の宇野さんが大好きだったハンガリー・ブダペスト生まれのピアニスト。モーツァルトを得意としましたが、シューベルトもソナタやこの即興曲など、多くの名盤を残しています。

 「即興曲集」は1967年、ヴァンガードへの録音。日本ではキングが販売していました。

 クラウスのモーツェルトは、男性勝りというか、かなり激情的な部分もあり、一方で、女性らしい細やかさもあるという感じだと認識していますが、このシューベルトもかなり感情の振幅が大きい、ある種ダイナミックな演奏といえます。その特色が表れているが、作品90の1や作品135の4などかと思いますが、一転、作品90の2の有名な三連符などは、清らかな川の流れのように滑らか。作品90の3も穏やかな、過去を回想するような風情をたたえながら、左手の低音トリルで心のざわめきをさりげなく協調するなど、すべてにおいて芸が細かいと感じます。作品135では、ハンガリー風のブラブーラな演奏ぶりに「血」を感じました。

 一つ、気になるのは、私が持っているのは、キングが販売した国内盤なのですが、作品90の録音において、音量が小さくなる時に、ときどき音像が左側に寄ってしまう現象があります。たまたま、私の持っている盤がそうなのか、あるいはマスターテープに起因するものなのか、気になりだすと気になります。まあ、すごく鑑賞に支障がある、というほどではありませんが。

ケンプ

1965年(DG)

 ウィルヘルム・ケンプのシューベルトが素晴らしいのは、ピアノ好きな方ならご存じでしょう。「即興曲」もその例にもれず、とてもケンプらしい味わいのある演奏です。

 全体を通じて朴訥な歌が流れ、思索的・精神的な高さは比類がありません。

 録音はいまいちです。ケンプのDG録音全般にいえることですが、やや潤いに乏しく、フォルテなどで尖った音に聴こえます。使用楽器やタッチのせいかもしれませんが、最新録音に慣れている方には少し聴きにくい音かもしれません。

ツィメルマン

 クリスティアン・ツィメルマンはポーランド出身の今現在の世界でも最高峰のピアニストでしょう。納得のいく演奏でなければCDを作らず、録音にはとても慎重ですが、それだけに、これまで出ているCDは、どれも高い水準のものばかりです。

 この「即興曲は」、まだ若い頃、1990年、DGへの録音です。若いピアニストがなぜこの曲集を録音したのかわかりませんが、それだけ曲に愛着があり、演奏にも自信があったのかもしれません。

 一聴してわかるのは、その素晴らしいテクニックです。右手も左手もとてもよく制御され、どんなときも乱れることはありません。そういうと、無味乾燥な演奏と思われるかもしれませんが、ツィメルマンの場合、内部に溢れるような感情があるのが素晴らしいのです。もう少し後年になると、例えばショパンのピアノ協奏曲を弾きぶりした盤のように、やや表現過多に感じる部分も出てくるのですが、このシューベルトは、まさに繊細な心を持つ青年のような爽やかな佇まいが感じられ、とても曲との相性がいいと感じます。粒立ちの良い音をとらえた録音も良く、これは「隠れた」名盤だと思います。

内田光子

 内田光子は紹介の必要はないでしょう。モーツァルト、シューベルトが最高です。そういうとクラウスに似ていますが、演奏から受ける感じとしては、クラウスが色とりどりの花だとすると、内田はモノトーンの心象風景といった印象です。内田はモーツァルトでもシューベルトでも、私が感じる色は「灰色」ないし「白」です。これは否定的に言っているのではありません。モーツァルトでもシューベルトでも作曲家の喜び、孤独、諦め、夢をえぐり、聴きてにそのまま提示します。心の内側を「音化」するのです。意外に内田が苦手、という人が少なくないのは、こうした厳しさに耐えられない、もっと音楽は楽しいものではないか、という人が多いのではないかと思います。正直、私も聴くときの気分によってはそう感じることもあります。

 したがって、この演奏は、万人に受けるような演奏ではないと思います。例えば作品90の3のような曲でも、内田の視線は、心の内へ内へと向かっています。その結果、聴こえてくる音楽は、表面上の穏やかさの下の切実なあこがれといったものを強く感じるものになります。

 特異な演奏ですが、一度は聴いてみていただきたいと思います。1996年、フィリップス。録音はややこもったものです。

ピリス 

 マリア・ジョアオ・ピリスは、ポルトガルの女性ピアニスト。モーツァルト、ベートーヴェンなど独墺系からショパンまで、幅広いレパートリーで主にDGに録音を残しています。シューベルトもソナタを何曲か録音しています。

 この「即興曲集」は1996、97年、DGへの録音です。

 とてもロマンティックな演奏です。シューベルトよりもピリスの個性が前面に出ています。テンポ・ルバートも多用し、まるでショパンのような弾き方なのは、好みを分かつかもしれません。

アラウ

 クラウディオ・アラウはチリ生まれの大ピアニストです。

 ドイツ音楽を得意とし、ベートーヴェン、ブラームス、シューマンなど名演ぞろいです。またショパンも独特な味わいのある録音を残しました。

 シューベルトも後期3大ソナタの名演のほか、即興曲集をⅮ.899を1978年、そしてⅮ.935を最晩年の1990、91年にいずれもフィリップスに残しています。

 実は、今回、一番おすすめしたいののは、このアラウなのです。

 私はアラウはあまりこれまで聴いてこなかったのです。それは、だいぶん以前にシューベルトのピアノソナタ第21番を聴いて、あまりピンとこなかったためで、有名なベートーヴェンのピアノ協奏曲全集(コリン・デイヴィス指揮、シュターツカペレ・ドレスデン)も何となくピンとこなくて、あまりこのピアニストは自分に合わないな、と勝手に思ってしまったのです。今となっては不明を恥じるのみです。

 このシューベルト、晩年の演奏ということもあってか、技術的にはかなり危なっかしいところもあり、ゴツゴツした手触りがあります。ただそのもったり、ゴツゴツとした感じが、とても魅力的に思えるようになったのです。太い音、というのがぴったりするのですが、とても温かく重い音でゆっくりとシューベルトの歌を紡いでいく感じが、何とも心地良いと思うのです。

 作品90の3など、いつまでも終わってほしくないと思うようなゆったりとした時間が流れています。

 この機会に、後期3大ソナタも聴きなおしてみたのですが、どれも同じような表現で、ああ、アラウは自分なりの方法でシューベルトの道を極めたのだなと思わざるを得ない、どれも含蓄の深い演奏でした。

 ファースト・チョイスというより、何枚も聴いた人にこそおすすめしたい名盤です。

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