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シューベルトの後期ピアノ・ソナタ~アラウ、ツェヒリンの名演

time 2021/09/23

 シューベルトのピアノ・ソナタについては、以前アファナシエフの一風変わった名演について書きました(立ち止まり、思索するピアニスト シューベルト「最後の3つのソナタ」 アファナシエフ(ピアノ))。また、初期のピアノ・ソナタ第13番についても書きました(珠玉の名品 シューベルトのピアノ・ソナタ第13番 ルプー、バレンボイム、ケンプ)。

 今回は後期のピアノ・ソナタについて、その他の名盤について書きたいと思います。

 シューベルトはその短い生涯に、番号付きで21曲のピアノソナタを書きました。途中で書くのをやめたりして、楽章が全部そろっていない曲もありますが、どれもシューベルトらしい「歌」に溢れたすばらしい曲ばかりです。

 初期のソナタは、どちらかというと習作的な側面もあり、充実度という点では、後の作品になるほど内容が深く、規模も大きくなります。その境目はいろいろな意見があるようですが、第13番以降がよく弾かれるし、録音も多いようです。

 また、一般に、後期3大ソナタとして、同じ時期に書かれた19~21番の3曲をひとまとめに指すことが多いですが、少し前に作曲された18番「幻想」も内容の充実度ではそん色なく、これも含めて後期4大ソナタととらえたいです。

 さて、これらの曲の名盤をみていきましょう。

クラウディオ・アラウ

 アラウはシューベルトに相性が良いか、と言われると、一般的にはベートーヴェンのような重厚な音楽に真価を発揮したピアニストだけに、繊細なシューベルトには「牛刀を持って鶏を割く」式にならないか、と私は思っていましたが、全く違いました。超一流のピアニストの凄さを思い知らされました。

 19〜21番をアラウは晩年の1980年前後に録音しています。そして最晩年の1990年に、18番「幻想」を録音しました。

 シューベルトはアラウにとって重要なレパートリーだったのに違いないと思うのですが、モーツァルト(主に1980年代に録音)とともに晩年になって録音したというのは、機が熟すのを待っていたのでしょうか。

 さて、聴いてみてまず感じるのは、ピアノの音の抜群の美しさです。深みのある中低音、キラキラ輝かしい高音は、フィリップスの優秀な録音と相まってとても魅力的です。これは1980年代以降のアラウの録音に共通した特長かと思います。

 若い頃はヴィルトゥオーゾとして鳴らしただけに、19〜21番はもちろん、90年録音の「幻想」ですら技術的な不満はありません。モーツァルトを聴いたことがありますが、それと同じような印象を持ちました。すなわち、ゆっくりした歩み、繊細なニュアンスづけ、時として粘るような歌…。対位法的な声部の浮き立たせ方も見事です。

 特に、20番第2楽章の深沈とした表現や最終楽章の永遠に続いて欲しいと思わせる豊かな歌い方には強く惹きつけられました。

 21番も深々とした呼吸、底光りするような低音と鐘の音のような高音で、シューベルトの心象風景を描き尽くします。

 また、死の半年前の「幻想」は、シューベルトの存在も、ピアニストの存在も超えて、ただアラウという一人の人間が語り掛けてくるような、いや、人間の存在すら超越した何者かが語り掛けてくるような、不思議な感動に満ちていました。

 

ディーター・ツェヒリン

 クラシック好きでも、ツェヒリンを知っている人は少ないのではないでしょうか。旧東ドイツで活躍したピアニストです。1926年、ドイツ中部、ニーダーザクセン州ゴスラーに生まれ、2012年に亡くなりました。ライプツィヒ学派の伝統を受け継ぐ名手で、来日もしています。

 ベートーヴェン、シューベルトのピアノ・ソナタ全集をエテルナ(ベルリン・クラシックス)に録音していて、今でも根強い支持があります。

 ブリュートナー製のピアノを使用し、少しベヒシュタインに似た硬質で引き締まった音が聴かれます。演奏は端正そのもので一聴しただけでは物足りないと思うかもしれませんが、聴けば聴くほど味わいのある演奏です。

 上記のベートーヴェンとシューベルトのソナタ全集のほか、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番(ロルフ・クライネルト指揮ライプツィヒ放送響)、第5番「皇帝」(クルト・ザンデルリンク指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管)も持っていますが、どれも派手さこそありませんが、作品の真正の姿を示した名演だと考えています。

 さて、ツェヒリンのシューベルトのピアノ・ソナタですが、私は徳間が出した1枚ずつの国内盤CDを7枚買って揃えました。それだけに、どの曲もじっくり聴いたのですが、国内盤解説を大木正純さん(父は旧東側びいきの大木正興さん)がシューベルトの生涯と各曲の作曲経緯、特徴まで克明に書いていて、初期のソナタから最後まで順番に聴くことで、シューベルトのピアノ・ソナタを理解するのに大きく役立ちました。

 そうした観点で聴いたこともあるのでしょうが、ツェヒリンの後期ソナタは、初期、中期と試行錯誤を繰り返してきたシューベルトがたどり着いた境地としての風景が提示されるような印象を受けます。

 「幻想」ソナタの冒頭、少し大きめの音でためらいなく弾き始めます。曲が進んでもテンポの揺れは少なく、あくまでもシューベルトが書いた音符を忠実に再現することに専念しているかのようです。

 従って、20番の第2楽章のような音楽も、情念がほとばしるような演奏ではなく、曲の暗さから客観的に少し距離を置いたように聴こえます。

 21番も、リヒテルやアファナシエフのように暗い道を止まってしまいそうに歩いてゆくような趣きはなく、ずっと足取りは軽く、ブリュートナーの響きも相まって、明るめの演奏と言えます。

 正直、後期の曲だけなら他に深い演奏がたくさんあるので、ツェヒリンのは少し食い足りないとも思うのですが、前述したようにピアノ・ソナタにおけるシューベルトの歩みを確認できるという意味で、この全集の価値は大きいと思うのです。

 

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