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ファースト・ヴァイオリンは「散々よ」?~モーツァルト、珠玉の名曲、ディベルティメント第17番 ニ長調 K.334~カラヤン、ヴェーグ

time 2022/04/03

 1975年にNHK交響楽団に入団し、32年間、第1ヴァイオリン奏者を務めた鶴我裕子さんは、文章も巧みで何冊か本を書かれています。その中の「バイオリニストは肩が凝る」は2005年に出版されたエッセー集で、N響に客演したサヴァリッシュ、シュタイン、ブロムシュテット、スヴェトラーノフなどなど名指揮者たちの横顔や、オケの舞台裏などをユーモアあふれる筆致で描いていて、クラシックファンにはとても面白い本です。

 その中で、こんな記述がありました。演奏が終わった後、よく指揮者は管楽器などのソロ奏者を立たせて聴衆に紹介しねぎらいます。しかし、弦楽器、なかでも一番せっせと働く第1ヴァイオリンが立たされることはまずない、と。しかし、1度か2度あったそうです。そのうちの1つが、ウォルフガング・サヴァリッシュの指揮で、モーツァルトのディベルティメント K.334をやったときのことだそうです。

 少し引用します。

 スケジュールの都合で、練習は前日の1日だけ。しかも、この曲はメインではないので、ほんの1~2時間しかできない。K334といえば、「さんざんよ」という別名がつくほどの難曲で、特に終曲のファースト・バイオリンは、「いじめ」かと思うほどの目にあわされる。モーツァルトでこれほど曲芸の連続というのも珍しい。いくらサヴァリッシュの棒がうまくても、音まで出してくれるわけじゃない。けなげなファースト・バイオリンの面々は、自主トレを行い、当日はバッチリ弾いた。(後略)

 その頑張りに感動したサヴァリッシュが、演奏後に第1バイオリン全員を立たせて称えたそうです。

 あの流れるような終楽章「ロンド・アレグロ」がそんなに難しいとは。そして、「さんざんよ」という別称にも笑ってしまいました。この曲はモーツァルトのディベルティメントの中でも、長大さ、深みとも最高のもので、聴く分にはとてもスーッと聴いてしまうのですが、演奏の苦労には思いが至りませんでした。たしかに、第1ヴァイオリンは終始メロディーを弾いていて、細かいパッセージも多く、曲も長いので、大変だと思います。それも大編成でやる場合、ピシーっとそろってなくてはならないのですから。

 以上、鶴我さんの著書からの興味深い紹介でした。

 さて、このK.334、モーツァルトのディベルティメントの中の最高傑作といっていいでしょう。編成は弦楽合奏とホルン2本。弦楽器には各部に独自性が与えられ、全体の構成もシンフォニックな緻密さを持っています。同時に娯楽音楽としての気安さ、楽しさも失ってなく、第3楽章の「メヌエット」は「モーツァルトのメヌエット」と名高く、しばしば単独でも演奏されます。

 私が好きなのはニ短調の第2楽章「主題と変奏」で、モーツァルトの短調特有の哀感のこもる、とても美しい楽章です。そして、第1ヴァイオリンが動き回る、第6楽章のロンド・アレグロは、天衣無縫としか表現できない無垢な喜びを表現していて見事なフィナーレです。

 ここで紹介したいのは、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルのDG盤です。

 録音は1987年、カラヤンの晩年です。

 隅々まで音楽的に磨き上げられた、カラヤン美学の極致ともいえる演奏です。オケは比較的大編成の響きがします。ゴージャスだけど繊細、快活だけど陰影も深い、まずは非の打ち所のない演奏です。室内楽的な編成の演奏を好む人には、響きが分厚過ぎるという人もいるかもしれません。私はこういう大掛かりな曲では、シンフォニックな演奏も十分楽しめると思っています。

 第2楽章の、ぬぐいがたい哀愁を、これほど陰影深く表現した例はないでしょう。フィナーレもピシーっとそろったファースト・ヴァイオリン群の技巧が、技巧を技巧と感じさせない自然な流れで聴かれ、突き詰められたあ「明るさ」が、「哀しみ」に通じるという、神品のような演奏です。

 次にお勧めしたいのは、シャーンドル・ヴェーグ指揮 ザルツブルク・モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカが、ドイツのカプリッチョ・レーベルにモーツァルトのディベルティメントやセレナードのまとまった録音を残したうちの1枚です。

 録音は1986年。

 ヴェーグ(1912~1997年)は、ハンガリー生まれのフランスのヴァイオリニストで、1960年代終わり頃からは指揮者としての活動も行いました。

 こちらも晩年の録音ですが、カラヤンより編成の小さい室内オーケストラ、おそらくコントラバス2本くらいでやっているのではないでしょうか。

 ヴァイオリニスト出身らしく、弦楽の揃え方がとても優秀です。きちんとそろっていてバランスも最上に保たれています。といって味が薄いのではなく、ちょっとしたデュナーミクや歌い方など独特のセンスが光ります。室内オーケストラの小編成の良さを生かしながら、指揮者の意図を反映した大オーケストラのような表現の大きさを示した演奏といっていいと思います。 

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