一音たりとも奏者が気を抜いている音がない。外山雄三指揮、大阪交響楽団のベートーヴェン全集(キング、6枚組)を聴いて、真っ先に感じたのはそんなことでした。
少し前にチャイコフスキーの4、5、6番の交響曲のCDが発売され、気にはなっていた存在ではありました。
私自身は外山雄三の熱心な聴き手とはいえず、NHK交響楽団や日本フィルで何回か聞いたことがあるだけです。印象はといえば、真面目の一言。大きな破綻はあり得ませんが、すごく感動したことはありませんでした。それがなぜ、決して安くはない国内CD新譜を買ったかというと、ある信頼する音楽評論家のブログを読んでいて、(かなり意訳ですが)「能面のような顔をして、心が凍り付くような演奏をしてのける。外山は今が聴き時だ」というような文章を読んでいたからでした。既発売のチャイコフスキーのHMVのレビューを見ても、かなり高く評価がされていたので、「高いかな」と思いつつ、これもHMVの「浪速のバンベルク響がここまでやった!」との宣伝にも心惹かれて、購入した次第です。
順番に聴こうと思いつつ、「英雄」から。何だこれは?何でこんな重いんだ!手堅くまとめるけど、それ以上でも以下でもない、とずっと思っていた外山雄三だけに、びっくりしました。踏みしめるようなオケの重低音、テンポは一切動かさないと、信じているようなインテンポ。指揮者ならだれでも、少し軽やかにしたくなるような楽節でも、お構いなし。あくまでも遅めのインテンポを貫きます。
それだけに、響きの立派さ、重厚感は半端ないです。
第1楽章コーダのトランペットは2回目から欠落します。
第2楽章の「葬送行進曲」。フーガの慟哭は、日本人指揮者では朝比奈隆、新日本フィルの全集の演奏が最高だと思っていましたが、それに匹敵する表現がようやく現れました。朝比奈のが、天を仰ぐような表現だったのに対して、外山はあくまでも「クール」です。クールなのに熱い。熱いけど冷たい。狂気すら感じる、まるでショスタコーヴィチの交響曲のような慟哭です。きわめて「異形な」表現と言わざるを得ません。外山はまったくそんな気持ちはないであろうとは思いますが。
この感じで書いていくと、字数がいくらあっても、足りませんので、この辺でやめておきます。
ただ、一つ声を大にして言いたいのは、手堅くきっちりまとめる印象だった外山が、いつの間にか、とんでもない指揮者になっていたということです。そして、それには、外山の要求を100%受け止め、必死に音にする大阪交響楽団の力も大きいのではないかということです。
新品価格 |